○その二 青の時代:“夭折”の資格


すでにバルセロナの芸術家の中で“知る人ぞ知る”存在になっていた19歳のピカソは、1900
年10月親友カルロス・カサヘマスと共にパリを訪れモンパルナスのアトリエに寝泊まりします。
その年に開催されていたパリ万博にスペインからの正式出品作品としてピカソが16歳の時に描
いた「危篤」(「科学と慈愛」)が選ばれたのを機会のパリ訪問だったようです。

年の終りまでの短い滞在でしたが、ピカソは精力的にパリの絵画を観てまわり、パリでの第一作
「ル・ムーラン・ド・ギャレット」を描いています。この絵は例によってロートレック風ですが、
すでにロートレックと比較しても何の遜色もない程完成度が高い!と思います。
ふたりは12月20日いったんスペインへの帰途につきますが、カサヘマスはパリで恋したモデル
のジェルメール忘れがたく、パリに戻ってしまう。一方のピカソはマドリードに向かう。

結局失恋したカサヘマスは、カフェにパリでの友人達を集めパーティを開き、その場でこめかみ
に銃弾をぶち込み自殺してしまう。
この事件がピカソにもたらした衝撃は凄まじいものでした。
その年、ピカソは右のこめかみに大きな穴が開いたカサヘマスの死顔や、彼の葬儀の絵画を数枚
描いています。
自殺時に遠くマドリードにいたピカソがカサヘマスの葬儀に立ち会ったとは考えにくいので、こ
れらはおそらくピカソの心象画でしょう。

親友カサヘマスの死はピカソの画風をがらりと変えました。
ロートレック風の華麗な色彩は陰を潜め、深海に沈んだような暗く深いプルーが画面全体を支配
しはじめます。
モチーフもバルセロナやパリの享楽的な女達に変わって、敗残者、娼婦、サーカスの道化師、盲
目のギター弾き、片目の老婆、などの社会の底辺で暮らす人々が主なものになっていきます。
力量抜群だが独創に欠ける、と言われたピカソにはじめて独自の様式(スタイル)を与えたのは、
皮肉な事に親友の死だったのです。
この様式は後に「青の時代」と呼ばれます。

「青の時代」はピカソが親友の死というトラウマから、立ち直ろうとあがきつづけた時代の記録
ともいえますが、同時にただの才気走った新進画家を時代を代表する芸術家へと成長させた時代
である、とも言えます。
聞きかじった話ですが、運勢学でいうと双児の一方が幼くして死んだ場合、残った一人の運勢は
最高なんだそうなんです。エルヴィス・プレスリーや王貞治がそれにあたるそうですが。
なんだかねー、僕はピカソは親友カサヘマスの生命力も吸い取ってその後の人生を生きた、とい
う風に思ってしまうんですよ。
同い歳。同じ美術学校の同級生。
性的不能者だったカサヘマスと、70過ぎになっても子供を作った程絶倫のピカソ。
20歳で悲しく生涯を終えたカサヘマスと、91歳の天寿を全うするまで美術界に巨人として君
臨したピカソ。
僕はカルロス・カサヘマスはもうひとりのピカソだったような気がして仕方がないのです。

かつて三島由起夫はジェームス・ディーンを「夭折の資格に生きた男」と呼びました。
確かに夭折するには資格がいる。
その辺のおにーちゃんが事故って死んじまっても、家族や親しい人間以外は惜しいーなんて考え
やしないでしょう。
それまでの短い人生をどう生きたか、って事が重要なんですね。

ピカソが23歳で死んだらどうだったろ?
あらゆる絵を描く才能を神から授かった男。悪魔のようにハンサム。
不吉な死の香りを漂わせる「青の時代」の絵画。
若きピカソも“夭折の資格”は十分だったでしょうねー。
ピカソがもし若死していれば、当然「ピカソ=青の時代」だった訳だけど、冷静に考えてそれで
もピカソは伝説的天才画家と呼ばれていたと思う。
友人でありエコール・ド・パリの代表選手だったアメディオ・モジリアニ(映画『モンパルナス
の灯』で有名ですね)のような存在になったかもしれない。
“夭折”ってどこかしら美しさがありますものね。
ピカソが夭折していれば、モジリアニやエゴン・シーレのような女心をくすぐる画家になってい
たかもしれないなあ。(笑)
でも、もしそうなってたらこのピカソが後に「キュビスム」の大革命をやらかす画家だなんて誰
も想像しなかっただろう。
という事はやっぱ人間は生きていた方が良いって事かな?(おい!それが結論かい?(爆))

とにかく、カサヘマスが死にピカソは生き延びた。

1903年バルセロナに戻ったピカソは、かつてカサヘマスと共有していたアトリエを再び借ります。
その場所でピカソは寓話的大作「人生(ラ・ヴィ)」を描きます。
この絵画は人が生まれてから死ぬまでを、一枚の絵画の中に同時に描き切った作品で、まん中の
ヌードの男性の顔は明らかにカサヘマスです。
この作品でカサヘマスの死に決着をつけたピカソは、ようやく沈鬱な「青の時代」から“脱出”
して、薄明るい赤を基調とした「ばら色の時代」に向かいます。

僕はこの「ばら色の時代」が大好きです。
「ばら色の時代」は別名「アルルカンの時代」と呼ばれる程、サーカスをモチーフにする事が多
い時代ですが(アルルカンとは道化師の事)、「青の時代」のメランコリーを引き摺りつつもピ
カソの興味が序々に“造形”へと向かっていく“過渡期の美しさ”があると思う。
あ、でも「青の時代」も言われる程には“文学的”一本槍の作品群ではなくて、僕はその“造形
性”も認めています。特に人物のディフォルメなどに見られる形態感覚の鋭さは、やはりこの人
の天性のものだろうと思う。
色彩に関しても、「青の時代」の青、「ばら色の時代」の赤、これほどはっきりと基調色(画面
全体を支配する色)を前面に押し出した画家はピカソが初めてじゃないだろうか?


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